このところ「今日は気温は高めで暑くなる」という天気予報がありますが、あの一か月前に比べたらなんていうことがない温度ですよね。
ただし、困ってしまうのは服装です。朝から出ていて夕方すぎると、グッと気温が下がってきて洋服の選択誤ったと思うこともあります。
蒸し暑いのに電車に乗ったら、さらに熱くて汗をかき、スーパーに入ったら冷房が強すぎ、これでは体が参ってしまいますね。
いま日本人の5人に1人は65歳以上だと言います。
日とは生まれたら、毎年一歳づつ年を取っていくということと、生まれたということは、必ず死ぬ
ということ。金持ちでも貧乏でも、男でも女でも必ず平等だということです。
電車の中でも、街を歩いていても本当に高齢者が多いですね。
かつて、平成10年から5年間介護保険制度にかかわる仕事をしていて、人口推計ではわかっていたのですが。本当に多くなりました。
そして、数年後には私もその仲間入りをします。
実母が7か月入院していて、体力がだんだんと低下し、知力も後退していて、わが子とわからない状態になっているのです。もちろん歩くこともできず、ただただベッドの上に横になっているだけです。声をかけても反応なし、徐々に体力が低下していくのを見守っていくしかないのかと自問自答を繰り返す日々です。
友人達のほとんどが、認知症や病を持っている親とか配偶者を抱えているか、見送っているのです。高齢者でもはつらつと生活している方はいらっしゃるはずですが、私たちの親の世代は子供の世話になるという考えを持っている方がまだ多いのですね。
しかし私と同世代の友人たちは「わが子に自分たちの世話をしてもらおうとは思わない。」と言
うのです。
仲の良い、陶芸の仲間と土曜日に逢ったら、ご主人がパーキンソン病になったとのこと、すでにご両親は他界して、ご主人のお姉さんの介護で、二人そろって栃木の方までよく通っていお世話をしていたのです。そのご主人が発病してしまったのです。
2年前くらいに、このところ急に歩くのが遅くなったのよと言っていたのですが、予兆だったのです。もしその時に受診していたらと話していました。
長生きはとっても良いことで、長寿を全うして生きて行かなくては行けなくて、誰でもが長寿をして、たのしく生活をしていくのが本当なのですが、生きていることが辛いのは本当の姿ではありませんよね。
では人の寿命とか定命とかは決まっているのでしょうか。活学算命学では、人の一生はおおむね100年と考えています。
しかし、暴飲暴食や運動不足、不養生、喫煙とか、さまざまなリスクを冒していくのでなかなかその年まで健康に存命出来ないようです。
活学算命学のカルテには、10歳1つの括りにして10旬までの生きていく道のりを示しています。ことわざに「10年ひと昔」とありますがその言葉の語源もここにあるのかもしれません。
九星干支気学は、自らの本命の星がどこにあるか(環境)と自分の宿命と10年ごとにめぐってくる大きなお役目を学びます。
自分がわかると、自分が変わります。
自分が変わると、周囲が変わります。
自分を知るために、一緒に勉強をしてみましょう。
勉強の時間については、個別対応も可能です。
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